【12】吉本隆明『言語にとって美とはなにか』1・2第6回レジュメ

配布資料(作成2015/11/29 小林健司)

【構成とは何か】


吉本は文字で残る最古の詩(記紀歌謡)からは、言語を使った芸術の発生の起源はたどれないことを、執拗と言えるほど何度も何度も説明する。吉本が慎重に自分の論理を組み立てる姿勢と、そこから生まれる硬質さ(これは初見での読みにくさにもつながる)、そして同時に「ここまで書けば誤読の余地はない」という自信のようなものが、こういう姿勢から読み取れる。

・記紀歌謡は発生について、たとえてみれば、十階建のビルディングの五階からエレベーターに乗って、七階でおりた、という以外のどんなもんだいもはらんではいない。[14] 
・文字に定着されるまでに精錬されたことばと、口承または和唱として流布されている段階のことばのあいだには、表出として比喩的にいえば千里の径庭がある。[16] 
・いっぱんに、本縁的な原型があって、それが口承されたり和唱されたりした社会の流布現象と、それがまた文字にまでかきとめられた歌謡のかたちで〈書物〉に収録されたということのあいだには、異質な、そしてかけ離れた時間がよこたわっている。これははっきりしたことだ。[19] 
・口承されたり、和唱された語り物や歌謡の意識と、それを文字としての表現にとめることの意識とが同質であるはずがなく、また、そこに千里のへだたりがあるということは、民謡を自然発生的に口誦んできた生活人と、それを蒐集して文字にかきとめて保存したものの意識とがどれほどへだたっており、また、おなじ文句の歌謡であっても、その口承の発生と、文字に収録したものの発生が、どれだけ遥かな歳月のへだたりがあるか、詩的体験にひきよせてかんがえればすぐに理解される。[21] 
・すなわちいうべきことのひとつは、記紀歌謡をそれ自体として、文字でかかれた詩的言語の世界としてかんがえること、もうひとつは、記紀歌謡以前の想定されるだけの口伝や口誦の時代を、直接資料がない、したがってまったく理論として想像すべき詩の時代としてあつかうこと、などだといってよい。[23] 
・言語の発生から芸術(詩)の発生にいたるには、人間がどれほどの抽象力を具えねばならなかったか? したがってどれだけの悠遠の歳月がかかったか? そして芸術の発生から、それが文字としての詩(ギリシャ叙事詩)が成り立つまでに、またどれだけの抽象力をてにいれねばならなかったか? したがって、またどれだけの悠遠の時間がかかったか? トムソンは、必然的にそれをかんがえないですましている。[31] 
・記紀歌謡という文字でかかれた、最古の詩は、詩の発生の起源を、ほとんどなにほども保存しているはずがない。[49]

吉本が、上記のように繰り返し詩の発生は想像と論理によってしか考察できないことを説明する理由として、もっとも重要なポイントは以下だと考える。

背景に歴史的な事実を想定するというあつかいかたは、重さがさかさまになると、詩の表出としてあるものを、想像される事実史に還元することが、歌謡じたいの最後のもんだいみたいに錯覚されてしまう。あたかも、トルストイの『戦争と平和』や『復活』を、ナポレオン戦争やロシア社会に還元させておわるのと同じようなものだ。[49]
ある芸術の表出は、作者の視界や意識を含んだものであり(自己表出)、同時に周囲の環境を含んでいる(指示表出)、どちらかだけということはありえない。吉本は、詩の作者が表現した視界や意識までを単なる外界の情報としてだけ理解する態度に対して、ここまでで組み上げた言葉だけで闘っている。

下記では、さきの吉本の立場や態度を、土橋寛、西郷信綱の古代史の解釈と対比させ、淡々とではあるが痛烈な批判をおこなっている。

(両者の解釈について)いずれも、うなずくことができない。久米戦士団の戦歌をあらかじめ想定し、そのうえにたって歌謡表現がふくまれる〈事実〉や〈社会〉を抜き出そうとするための読みすぎの虚構としかおもえない。こういう解釈は、たとえば現代でも、野間宏の『真空地帯』から、実際の軍隊はかくのごとくであった、と空想を混えて想定し、しかもそれによって『真空地帯』という作品を理解し解釈したつもりになる、というのとまったく同じことだ。これは、文字によってかきとめられた古代の歌謡を、ひとつの表出体としてみるということからも誤読であり、またこういう表出体を〈詩(芸術)〉としてみるということからも錯誤というほかはない。また、古代社会、古代政治の現実をとりあつかう態度としてもきびしくないとおもう。[58]

吉本の考える言語的な芸術の発生と構成は、次の個所に集約されている。

祭式にともなう言語の表出が、芸術(詩)にまでうつってゆくいっとうはじめの契機は、いっぽうで呪言としての意味がうすれ(呪力を消失し)、いっぽうで律言としての現実を呪縛する力がうしなわれて昇華されるという、二重の契機があった。この二重の契機から言語の表出は詩(芸術)の水準線にはじめてすがたをあらわした。[47]
やや乱暴にまとめてしまえば、言語芸術の発生は、人間の意識が自他の区別をしはじめてから「悠遠の歳月」を経て疎外が一定以上の強さを持ち、言語が意識的に自他の境界をつなぐために使われたときに発生した。といえるのではないだろうか。このとき、人の意識が切り取った(選択した)意識の範囲や場所を、構成と呼ぶことができるのではないだろうか。

【音声表出から文字表出へ】


土謡の表出体が、もとにもどらない表出がつぎつぎとおこり、きえてゆく性質は、この表出体が、文字にかきとめられることのなかった時代の音声表出の性質を、よりおおく保存しているためだとかんがえられる。音声表出ではどんな言語も、口誦され和唱されたあとには、音声がきえてしまえば、その意味は消え、つぎの音声表出がうけつがれる。まず、だれかが「宇陀の高城に……いすくはし鯨障る」というように声をだして誦すれば、聴覚に残像しやすいのは〈鴫が獲れずに、鯨(鷹)が獲れてしまった〉という意味だけであり、この意味が、つぎの「前妻が肴乞はさば……」の音声表出の意味をよびおこすだろう。[55]

この音声表出と文字表出の違いについての説明は、人の表出を文字として受け取る場合と、音声として受け取る場合の違いの本質まで届いている。表出された言葉が、「その時間に生き、つぎの瞬間にはきえてしまい」というような、つながりを意識することが難しい瞬間の連続が、音声でのやり取りで起こっている実体だ。もちろん、意識をしておこなえばつながりを生むことも、連環を生むことも可能ではあるが、文字として残された場合には、「はじめ」と「おわり」が明確に発生し、連環体として表出することが容易になる。

もちろん、音声だけで口誦んだ詩にも、文字で残された詩にも、構成は存在するが、言語表出の芸術として作者の意識がより明確に反映されやすいのは、文字による構成だといえる。作品に対する作者の意識の反映を自己表出とするなら、文字による表出は音声に比べて選択・転換・喩を、高度に組み上げやすいため、「立体的に統覚されている」ような表現が可能になる。
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