【05】『増補 無縁・公界・楽』第7回レジュメ

2015年7月12日 資料・発表:大谷隆

「二三 人類と「無縁」の原理」が本書のまとめなので、この章を中心に。網野は以下のように言い切っている。
「無縁」の原理は、未開、文明を問わず、世界の諸民族の全てに共通して存在し、作用し続けてきた、と私は考える。その意味で、これは人間の本質に深く関連しており、この原理そのものの現象形態、作用の仕方の変遷を辿る事によって、これまでいわれてきた「世界史の基本法則」とは、異なる次元で、人類史・世界史の基本法則をとらえることが可能となる。[242]
「変遷を辿る」道標として、西欧のアジールの三段階を並置している。

①「原無縁」

人類の最も原始的な段階、野蛮の時代には、「無縁」の原理はなお潜在し、表面に現れない。自然にまだ全く圧倒され切っている人類の中には、まだ、「無縁」「無主」も「有縁」「有主」も未分化なのである。この状況は「原無縁」とでもいうほかあるまい。[243]

②「原無縁」と「無縁」と「有縁」の切り離し

「無縁」の原理は、その自覚化の過程として、そこ(原無縁)から自らを区別する形で現われる。おのずとそれは、「無縁」の対立物、「有縁」「有主」を一方の極にもって登場するのである。[243] 
「無縁」の原理は、ここでは呪術的な、またさまざまな神に結びついた聖なるものとして、その姿を表しているのである。それ故、「無縁」と対立しつつ、それを自らの支えとしてとりこむことによって成立する「有主」「有縁」の原理も、おのずとここでは同様の形をとらざるをえない。[244]

西欧では、「聖なる呪術的なアジールが登場した第一段階」に相当。

③有主・有縁の進展と国家の誕生、同時に無縁の自覚化の進行。原無縁の衰頽=古代〜中世前期

「有主」「有縁」の原理による「無主」「無縁」の原理のとりこみの過程は、人類が自然を自らのうちにとりこみ、力強くなってくるとともに、一層、活発に進行していく。そして次第に力を増した「有主」「有縁」の原理の主導の下に、それが組織化されたとき、国家が姿を現わす。
 「原無縁」の衰弱の過程は、ここにいたって本格的に始まるが、それとともに、「無縁」の原理の自覚化の過程も進むのである。・・・自覚化された「無縁」の原理は、さまざまな宗教として、組織的な思想の形成に向かって歩みを開始する。[244-245]
西欧は「聖なるアジール(第一段階)と実利的なアジール(第二段階)の混在」。

④「無縁」の完成と「有縁」による「無縁」のとりこみの進行=中世後期〜近世

日本では鎌倉後期ごろから、・・・実利的なアジールともいうべき現象が広く社会に現われはじめ、室町〜戦国期にいたって、それはほぼ完成した姿を示すといってよい。「無縁」の原理は、・・・「無縁」「公界」「楽」という、明確に意識化された自覚的な原理となったのである。・・・
 とはいえ、すでにこの時期は、アジールの第三段階、その衰頽、「終末」の段階の開始でもあった。「有主」「有縁」の世界を固めた大名たちによる、「無縁」の原理のとりこみはより一層進行し、国家権力の人民生活への浸透も、ますます根深いものになってくる。[246]
西欧は「アジールの衰頽、「終末」の段階」。ここで「終末」をカッコに入れているあたりに網野のアジールの復活への視界がある。

⑤停滞のち、西欧の自由・平等思想の流入=近代

西欧ではこの時期(④の時期)を経過したのち、「無縁」の原理は、宗教改革・市民革命など、王権そのものとの激烈な闘争を通じて、自由・平和・平等の思想を生み出したものと思われる。しかし、日本の場合、近世社会に入ると、「無縁」の原理の自覚化は、その歩みを遅めたようにみえるが、反面、「無縁」の世界も、鬱屈した状態におかれつつ、なお、かなり広く、その生命を保ったかの如くである。・・・
 幕末・明治の転換期は、西欧の自由・平等思想の流入と、日本の「無縁」の世界の爆発にともなう、「無縁」の原理の新たな自覚化との交錯の中で進行した、とでもいいえようか。・・・そして、それが結局、・・・「無縁」の原理の日本的な自覚化は、ついに実らなかった[246-247]
西欧が成し得た「王権そのものとの熾烈な闘争」による近代化に対して日本は、
「有主」の世界から、「原無縁」を最初に組織し、その後も「無縁」の世界の期待を体現しつづけてきた王権——天皇との酷烈な対決を経なくてはならなかったが、その課題に、ほとんど手をつけることなしに、日本の「近代」は始まる。[247]
この日本特有の現象であるかぎかっこ付きの「近代」を椹木野衣(美術評論家)は「未完の近代」と呼ぶ。この日本の「(未完の)近代」は、西欧の自由平等思想を知る知識人と無縁の世界にいる庶民との「亀裂を深め」つつ、
現在もなお、前者(西欧の自由平等思想を知る知識人)の一層の優位の下で継続している。とすれば、完全に自覚された「無縁」の思想によって、「有主」「有縁」の原理を克服・吸収し去るためには、われわれに課された課題は、複雑であり、それは決して西欧の発達した近代社会のそれと同一ではない。[247]
この①〜⑤の道筋を網野は無所有を軸においた「人類史・世界史の基本法則」として、
「原無縁」から、「無縁」の原理の自覚にいたる道筋は、日本・西欧のみならず、人類史の基本的な道筋の一つを示しているのではなかろうか。[247]
と提示する。これが「増補」前の時点で網野が打ち出した歴史観である。

出版後、「人間は所有する動物である」とするマルクス主義歴史学者・安良城盛昭氏の執拗な批判から、第二幕ともいうべき闘いが起こる。補注がその記録であるが、特に補注29「無所有論について」で鋭く対立している事がわかる。
安良城氏は、「マルクス・エンゲルス」が「「原始の自由」について語るときは常に、それが共有に基礎づけられていること」を指摘され、「無所有」を「原始の自由」と結びつけるのは「背理的な主張」であり、「人間は所有する動物」であり、「無所有は動物と「不自由」な奴隷とにかかわりこそすれ、百姓の自由・人間の自由とは、それこそ無縁である」と批判された。[328]
安良城氏にとっての「原始の自由」は「共有」であり、この部分を脅かされる網野の論は到底受け入れられない。そのため批判は、「所有論」的視点から厳しく批判される「二一「自由」な平民」に続き、苛烈を極める。これに対し網野は、「共有」「共同体の所有」の「根底に」、つまり安良城氏の視点では、人間でない動物、あるいは奴隷でしかなかった「時期」にまでさかのぼり、
自然に対する人間の畏敬をこめた謙虚、敬虔な姿勢、自らがその一部であることを否応なしに知らされている時期の人間のあり方が、土地の共有をふくむ共同体的な所有、共同体的な社会関係の根底にあり、「原始の自由」もまた、まさしくそれによって支えられてきた、と私は考える。
と安良城氏の「原始」よりも「前の」視界を提示し、「原始」をひっくり返してしまう。網野が見る「所有」の始まりは「「アジールとして」の家」で見たように「原無縁」から空間の仕切ることで始まるが補注29で更に踏み込む。
山本幸司氏の表現を借りれば、これは「限定された空間」(中沢新一は「仕切られた空間」)であり、「開放された空間」(同「なめらかな空間」)——山野河海、道、河原等に対する人間の関わり方は、これとは異質なものがあると考えなくてはならない。[330-331]
こうした「開放された」「なめらかな」空間は、実態としても「無所有」であるか、あるいは「限定され」「仕切られた」空間の「所有」と鋭く対立する特質を持つ。[331]
とし、「無所有」が単に「動物や奴隷」なのではなく、「所有」と鋭く対立しうる特質を持っているとする。
「所有」、自然に対する支配への志向を持つ人間は、いうまでもなく動物の一種であり、自然の一部であることも事実である。そしてそれも、人間の本質を考えるさいの最も基底的な事実と言わなくてはならない。[329]
「自然の一部」である以上、自分と自然との境界はない。それでも「人間」、原無縁を生きる人間である。安良城氏がマルクス・エンゲルスを引き主張した「人間は所有する動物」という「最も基礎的な規定」すらも覆す。本文は、
原始のかなたから生きつづけてきた、「無縁」の原理、その世界の生命力は、まさしく「雑草」のように強靭であり、また「幼な子の魂」の如く、永遠である。「有主」の厳しい大波に洗われ、瀕死の状況にたちいったと思われても、それはまた青々とした芽ぶきをみせるのである。
 日本の人民生活に真に根ざした「無縁」の思想、「有主」の世界を克服し、吸収し尽くしてやまぬ「無所有」の思想は、失うべきものは「有主」の鉄鎖しかもたない、現代の「無縁」の人々によって、そこから必ず創造されるであろう。[250-251]
と結ばれる。本書を看過することで自身の歴史観が完全に覆ることを安良城盛昭氏は認識していた。その上で、補注29として「人間の本質の最も基礎的な規定」にまで及んだ「増補」版の出版が、安良城盛昭氏の丹念な批判と「強い勧め」とによって得られたのは間違いなく、安良城盛昭と網野善彦が同じ山を逆側から登った「親しい友人」であったことは疑いない。
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