【03】『日本・現代・美術』第6回レジュメ

第十二章-第十三章

2015311日(水)
鈴木陵
■第十二章 芸術は爆発だ

数学の足元が揺らぐということは、それを基礎に成り立っている科学的思考全域が危機にさらされるということであり、ひいては人類の知恵それ自体に、なにか解決不可能な欠陥があるということになってしまう。[306
たとえばこれを絵画の問題に適用してみよう。個別絵画は、個々の対象であるかぎりにおいて、それ自体としては妥当でも不当でもない。ただ、一枚の絵であるだけである。ある絵画が絵画として妥当であったり不当であったりするためには、これら個別絵画の妥当性を保証する超絵画的な言語(批評言語)が必要である。(略)個々の絵画は、この超絵画的領域を構成する一般言語によってはじめて、その妥当性、不当性を云々することができる。ところが、超数学の完全性/不完全性にならっていえば、超絵画的領域は、一定の形式的手続きによって個別絵画の妥当性を批判(証明)することはできるものの、みずからの言語の妥当性が内在的に保証されているわけではない。[309

「絵画」を「生き方」と読み替えても成立するのではないか。現代の「スキゾフレニックな日本」においては、どのような「型」や「生き方」の妥当性も無根拠でしかありえない。
「現実を見ろ」という言葉がある。本書の視点からすると、この言い回しは「一般的に妥当とされている型のひとつ」からの批判でしかないという感じがする。そして「そんなことではいつまでも結婚できない」「生活がある」…と続きそうなこの言い回しは、一見暗そうに見えて、実は空虚さを覆い隠す「あかるさ」によって支えられている「型」なのではないか。

あらかじめ存在する(とされる)「型」を、それらをかたちづくっている「現実」にまで分解し、その「現実」から別の「型」を再度かたちづくるということは、たとえその営みが、最終的には岡本太郎という「型」に堕すことが避けられないにせよ、その過程が既成の「型」の内面化を解体構築するということを必然的にはらむ以上、その行為それ自体は決して「型」ではないし、また、あらゆる「型」を相対化する視点を有しえているのである。[313

こうしたことを行うことが本当に「現実を見る」ということなのではないか。以前自分がブログに書いた「触り直し」、大谷さんのいう「再構築」の話が思い出される。一時、自分のしていることもひとつの「型」でしかないのではないか、という気がしたこともあったけれど、この一節にとても勇気づけられる感じがする。これを続けていくことで見えてくる「生き方」は恐らく、分かりやすい肩書きやアイデンティティによって成立するのではなく、「AかつA」が混在するパッチワークのようなものになるのではないか。332ページの一節「矛盾と混乱、膿と毒、そして汚辱にまみれた、欧米の「生活」に照らしてみれば「前衛」というほかないわたしたちの「くらし」という「現実/非現実」は、だから、けっして「歴史」をかたちづくるような大文字の歩みではありえない。」とも通ずる。

ゼミ1冊目パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学』のレジュメやレポートを読んだ。これらのコメントから読み取れる、主体として世界を引き受けること、「状況」を所与のものとしてではなく変革可能なものとして認識することなどは、上記引用中「既成の「型」の内面化を解体構築する」ことと重なって見える。

■第十三章 暗い絵

あの青さは一体、何だったのだろう。やっと、やっと何かが終わったという色ともとれるし、これから新しい何かが始まる―そんな思いをこめた色ともとれた。何かをうながすように迫ってくる胸にしみる空の青さでもあった。(根本圭助)[322]
静寂であった。時間の停止。いや歴史の終焉であった。うずまいていたいっさいの爆音、危険も、それにむかってかけ抜けようとした未来さえも、消失した。これは空虚としか呼びえない。私はその空虚のなかに立ちつくし、青空だけを見上げていた。(磯崎新)[323

あの空は、人びとが歴史や神話の内面化を通じて強制されていた美しい使命から解放されたときに、はじめて立ち現れたのだ。それは、神話や美のヴェールが焼け落ちた後で、ありきたりの空を、太陽を、光を、ありのままに体験することを意味していたにちがいない。つまり、ひとびとが美に彩られた神話などではなく、現実という物質にふれることができるようになったことを。[324]

「呆然と日の暮れる様を眺め」ていては飢え死にしてしまうような、和歌を生み出すことなど想像だにできない「くらし」もまた、「くらし」であることにはちがいはない。針生が発見した膿と毒の溢れる汚辱の場所とは、後者のような「くらし」にほかならない。[332

自分が退職したときに見えていた景色は、こういうものだったように思える。「歴史」や「使命」が終焉しそこから解放され、同時に「食っていかないといけない」という不安にまみれながら、自分自身が「現実という物質」にふれ始めたのもこの頃だったのかもしれない。

鮭や焼き豆腐には正義も悪もない。ただそこにあるだけ、である。ちょうどあの、八月十五日の太陽のように。このように、由一が描いた「鮭」や「焼き豆腐」は、それまで揺らぐことのなかった絶対性と中心制を失うことによってはじめて「近代」の素性のなさにさらされた脱藩浪士が、自分を支える階級や道義のすべてを漂白した果てに、名勝や肖像によって覆い隠されていた存在の基底として、その「くらし」とともに現れた。[326-327]

今の自分も、素性や根拠のなさにさらされた「脱藩浪士」だという気がしてくる。「目の前のだらしなく、なさけない現実」[533]である「くらし」を覆い隠すような「雄大な眺望」や「壮烈な歴史的場面」ではなく、「鮭」や「焼き豆腐」のような文章を書き、そのような「仕事」をしていきたい。

こうした意味に翻弄されない唯一の方法は、たとえそれが「自由」や「民主主義」といった「輝かしい」理念であろうとも、意味を固定して一方の価値観を絶対化するのではなく、意味の喪失から目をそむけず、「くらし」のあてどなさを受け入れることでしかないだろう。あの八月十五日の太陽の空虚を、何度でも反芻するほかないのだ。したがってあの空虚は、戦後の出発点などではない。あの空虚を、「自由」や「民主主義」、そして「文化国家」といった意味に塗り込めたとき、「戦後」というフィクションはその妙に「あかるい」足取りを開始したのだといってよい。[346


学生時代に熱心に取り組んだいくつかの活動も、自分にとっては一種の「隠蔽」であり「目をそむける」ことではなかったかという気がしてくる。高校時代、なんのために学校に通い、なんのために毎日同じメンバーで教室で過ごすことを強いられ、なんのために受験で合格を目指すのか。そのいずれにも答えが見いだせず、無意味さ・空虚さに耐えることができなかった。今になってみれば、大学進学後に出会った「あかるい」「神話的使命」にすがろうとしていたような感覚だったのではないかと思う。





第6回レジュメ(発表2人目)
高向

第12章 芸術は爆発だ[p289-]
~西洋と東洋という二項対立(オリエンタリズム)を乗り越える視点について~

長谷川三郎の前衛主義
・戦後、日本の伝統が嵐のように粛正されるなか、長谷川三郎は、西欧モダニズムと東洋の古典と のあいだに交換可能な接点を見出そうとした[p292] 
東洋と西洋を互いに等価なものとして比較検討した。 しかし、「伝統回帰」だと批判にあう。しかし、著者は、1モダニズムである述べる。 
全近代的な伝統論者、復古主義者に見えてしまうという悪循環にあった。[p294]

岡本太郎の前衛主義
・日本の伝統も近代主義もともに真っ向から否定し、孤絶した前衛主義者[p296] 
・岡本太郎の言葉P297~298の要約 
「日本古来の文化的なものは、その多くが輸入。西洋文化を取り入れたのも同じプロセスである。 しかし、同じ輸入でも、過ぎ去ったものだと安心して許し、現在のものについては外国のまねだと いう。現実の営みを否定したがる。それは今人に生きていないということ。18歳でパリに行って、 西洋の文化をただ取り入れる多くの日本画家をよそ目に(滞欧作品を書けば評価される、地位も定 まる)、しかし、自分は、なんのためにパリに来て、金髪美人やパリの街を書くのかという問いに ぶつかる。太郎は、そんな絵を描こうとすれば、耐え難い空虚感でどうにもならなかったという。 絵にはなるが、自分の血肉にうったえてくる感動がない。書けば書くほどみじめ」

これをやって何になるのだろうという感覚を大事にする姿勢がまともだ。ただ絵を描く(=仕 事)をすれば、金になり、評価され、地位もある。しかし、それがどうしたことか、それよりも、 感動が大事ではないか。という戸惑いや、疑問、仕事に魅力を感じない、身がはいらない感じに、 僕も共感する。

第13章 暗い絵[p321-]

・戦争とは、仮想空間である。その起源は戦前にある。国体と聖戦に殉ずる死の決意そのものの根
拠を喪失した後で、美しくも偉大でもない地上をいやおうなしに発見させられるこになった。[330]

価値観と時代の関係について 戦争という暴力を正当化させるためには、ファンタジーの世界に個人の現実を取り込む必要がある。 戦争がいい例だ。だから、その危険性については、単に人がなくなるということでなく、実際に、 現実と仮想世界が倒錯することが起こるという事実である。現実とファンタジーの境界は、自分の 価値観の柱でしかないということだろうか。

1 芸術分野で,伝統主義に対立して現代的な感覚で表現しようとする傾向。現代主義。近代主義。 国語辞典 
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