【03】『日本・現代・美術』第5回レジュメ

第九章−第十一章

2015/02/06 発表:山根澪

第九章 芸術である、だけど犯罪である

美術館の中である限り、どんなことをしでかしたところで、それは容易に芸術に回収されてしまうということです。[206]
なにをやっても原理的には芸術になってしまう美術館の内部とは異なって、街中の路上は、ひとたびそれが芸術的行為だとみなされていないことになれば、警察の方々や街行く人々はそれを「非芸術」などと呼んでくれようもはずはなく、端的に「犯罪」とみなすことになるだろう[207-208]
美術館を前にして「いやこれは芸術じゃないんですけど」などといっていたら、ああなるほど、芸術じゃないのか、じゃあこれは出品はできませんね、なんて問題は簡単に落着してしまうわけです。したがって出品者たちは、どんなに「芸術じゃなさそう」な物事を抱えてはいても、一応「これも芸術、あれも芸術」といってみるのです。[213]

リュックの展示受注会をやる前の戸惑いを思い出す。自宅工房ではなく「どこかの店舗を借りてやれば」「ギャラリーのようなところでやれば」それだけで、その方が格好がつくのかもしれない、というようなことを考えた。しかし、そんなことで本質的にリュックがよくなるわけではないと、そこに頼ろうとすることを諦めたが、自分が身を置く形式の力は強く感じる。

デュシャンは、芸術作品が芸術作品でありうるのは、ある事物が置かれる相対的な文脈であり、この文脈の規約性は、社会的な政治、経済の領域と密接な関係を持っているということを示唆した[219]

上の抜き出し部分について、まとめられている。また、芸術大学にいたときにこのことを突きつけられるのがかなり辛かったのを思い出す。

第十章 日本の熱

アンデパンダン展が、「才能」の度合いも出自も異なる作家たちの烏合でしかないにもかかわらず、最終的には自壊にいたることなく自主運営できたのは、そのような矛盾を解消する美意識(たとえば「反権威」すらこれにあたる)を、たがいに共有することができたからにほかならない[241]
そこ(「読売アンパン」)には、いかなる意味での趣味の共有もなかった。[242]

「まるネコ堂ゼミ」とかつて大学院にて実施されていた「購読ゼミ」との違いが指摘されているように感じ抜き出した。「まるネコ堂ゼミ」においてある美意識(なにかのためにではなく本を読むということ)が共有されている。「読解力」や本に対する知識量が異なるがそのことは問題にならない。「購読ゼミ」は、その名称に反して本を読むという目的すら共有されず崩壊した。

それ(「読売アンパン」)を成立させているのは共通の「制度」であるが、制度が本質的に理念を欠くが故に制度として定着するものである以上、便宜的に制度的条件を満たしさえすれば、そこにはありとあらゆる他者が、趣味を共有しない異者が、計算不可能な偶然が、予想もしない形で介入してくる余地が残される。[244]

「制度が本質的に理念を欠くが故に制度として定着する」という一節には唖然とした。しかし、制度を使う際、例えば助成金をとろうと考え金銭のやりくりに入ると「条件を満た」す方向にしか考えられなくなる感じの違和感はそう言われると納得がいくように思う。条件を満たす形で、制度がないときとは違ったお金のかけかたをせざるを得なくなる。

自主的という責任からも自由だった。[247]
「読売アンパン」における「反芸術」の熱狂は(略)「制度」に支えられていたと言っても過言ではない。制度に支えられているからこそ、彼らはその制度を徹底して攻撃することができたし、にもかかわらず、制度そのものの根本的な解体などは、もっともあってはならないことのひとつだった。[247]

「やりましょう」というのはなかなか力がいるが、「やってよ」と頼まれるときの気楽さを思い出す。文句なんかを言いながら作業をして、仕組みがなくなっても「呆然とする」程度で済んでしまう。

第十一章 アンフォルメル以前

宮川がいう「現代」とは、非人間主義という新たな「価値」への創出へ向けての過渡期的段階なのであり、そのためにも、「人間主義」にまみれた「近代」は作家や作品といった観念もろとも、根本的に批判されなければならない。「アンフォルメル以後」とはいわば、人間以後の芸術を示唆する危険な響きを湛えた言葉なのである。[271]
フォルムというよりマティエールそのものに還元された非・人間の数々は(略)「人間」に対する激烈な否定であり、そこにあるのは、自分たちに先立つすべての近代の成果が結局は戦争と破壊を回避しうるどころか、その主催者となった人間そのもののありように切り離し難く連なっていたということに対する、やむにやまれぬ呪詛、そして猛毒にも似た絶望にほかならない。[274]

気に掛かっていた現代が何なのかということに言及している。「人間以後」という意味をしっかりイメージできはしないので気になる。アンフォルメルの画家たちの絵画の説明から近代を否定しなければいけなくなった理由を読み取ることはできる。

「以後」現れたのは、宮川のかいまみた過渡期としての「現代」ではなく、巨大な野蛮を湛えた現代社会の野放図とした傲慢と、そこに腰を据え、忘却に由来する「超克」の遊戯に終始する「現代美術」という亡霊のほかならなかった。[287]

芸術大学に行っていたときのことを思い出すと10章、11章は、ただ何もいうことがないと思う部分が多かった。傲慢であったり、形式をなぞっていたり、赤瀬川原平の「変質者」[248]という言葉には参ったと思った。「そうそうそんなアホな感じやった」となんとか受け止め、こんなにバッサリと当時やっていたことを切り捨てている本があることに驚いた。

コメント(大谷)

  • このゼミの空間が、本を制度として言いたいことをただ言い合う場ではなく「節度」を保っているのは、本家のアンデパンダン展が美意識を共有していたのと同じ場が成立している。つまり局所的に未完の近代を完成させようとしている営みと捉えられるのではないか。
  • 「現代」が行き詰まった近代の「危険な曲がり角」で過渡的段階だとすると、それは例えば地球を何度となく破壊出来るだけの核兵器をどうにか使わずにすんだ冷戦であり、その後の地球環境問題への意識なども「曲がり角」をどうにか曲がろうとしているイメージに重なる。

コメント(鈴木)

  • 山根氏の「わたしたちは、未完の近代をやり直しているのかもしれない」という趣旨の発言が印象的だった。と同時に、少し飲み込み切れていない感じも残っている。『無縁・公界・楽』で触れられた、西欧近代の自由と平和と、所有や支配の原理によらない括弧付きの「自由」と「平和」の対比を思い出す。
  • 「自由」「平等」「友愛」の概念について。ぼくは「国家が国民を統合していくために「友愛」を利用した」という読み方だけをしていたけれど、ゼミの時間で読み方が広がった。どのような集団や場であっても、「友愛」の精神が欠けていると「自由」と「平等」、つまり「誰が何をしてもいい」という矛盾が露呈してしまう。制度や所有や支配の原理によらない場が成立するとすれば、それは「友愛」によって成り立つと言えるのだろう。
  • 「ゼミを外に開いて行おう」という計画についてメンバーで話をしていた時、事務局という役割(制度)が一度発生して解体されるという過程を経験した。事務局ができたとたん、この計画において「待ち」の姿勢になった自分の姿が、赤瀬川の「(面倒くさいな)」(243)と重なる。「各人がなにを共有し、なにを異とするのかの確認作業を経ない、なしくずしの連帯があった」(246)をまさに体現しているようだった。この時、ぼくはまさに「群衆」(245)の一員であった。「ゼミというものをどう見ているか」について丁寧に各々が語った時間は、まさに「友愛」「美意識」を共有する過程だったように思われる。

コメント(山根)

  • 一見多くの人々が「環境問題」、「生物多様性」といった「人間以後」、つまり「近代」ではなく「現代」の課題に取り組んでいるように思え、これまで読んできた内容と合わないように感じた。しかし現代において環境問題に取り込んでいるようであっても簡単に江戸時代や昭和前期のこんな習慣は環境によいからやるべきだといった現代の状況を十分に考慮しない発想に陥りがちであることを指摘した大谷氏の発言により、やはり「現代」に生きているように見えていただけだということがわかった。
  • 部屋を散らかしたくないから、散らかるものがないようにものを減らすというのが「宇宙の缶詰」的だと感じた。お掃除術、収納術はどこまでいっても「単純なエスカレートしかない」[204]が散らかるものをなくしてしまうと、片付け・掃除をする理由がなくなっていく。いつか、家の全てのものが定期的に使うものだけになると片付け・掃除の概念がなくなるのではないかと考えると面白い。
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