【04】『モモ』第2回レジュメ

第二部

2014/12/29 発表(一人目):山根澪

第2部冒頭

とてもふしぎな、それでいてきわめて日常的なひとつの秘密があります。すべての人間はそれにかかわりあい、それをよく知っていますが、そのことを考えてみる人はほとんどいません。たいていの人はその分けまえをもらうだけもらって、それをいっこうにふしぎとは思わないのです。この秘密とは―それは時間です。[75]

第2部の冒頭でなにかワクワクする感じの文章だと思い抜き出した。これから時間のことを考えていくというモモの冒険が始まる、それについていくという感じ。

フージー氏とインコ

(灰色の男のことば):役立たずのボタンインコを飼うのなんか、おやめなさい![88]

結局フージー氏はインコを飼うのをやめてしまう。大事なインコの世話をそれぐらいでやめるなんて、とも思うけれど春に子猫たちを拾って育てはじめたとき、こんなに世話に明け暮れていてで大丈夫なんだろうか、と時々不安になっていたのを思い出す。

きちんと考えてみること

彼はだんだんとおこりっぽい落ち着かない人になってきました。というのは、ひとつ、ふにおちないことがあるからです。彼が倹約した時間は、じっさい、彼のてもとにひとつものこりませんでした。魔法のようにあとかたもなくきえてなくなってしまうのです。[91]
彼は灰色の紳士の訪問をうけたことをもうおぼえていないのですから、ほんとうなら、いったいじぶんの時間がどうしてこうもすくなくなったのか、しんけんに疑問にしていいはずでした。けれどこういう疑問はほかの時間貯蓄家とどうよう、彼もぜんぜん感じませんでした。もののけにとりつかれて、盲目になってしまったのもおなじです。そして、毎日毎日がますますはやくすぎてゆくのに気がついて愕然とすることがあっても、そうするとますます死にものぐるいで時間を倹約するようになるだけでした。[92]
彼らはじぶんたちの生活はほんとうはどうなってしまったのかを心のどこかで感じ取っていましたから、しずかになると不安でたまらないのです。ですから、しずけさがやって来そうになると、そうぞうしい音をたてます。[93]

フージー氏は腑におちないことがあってもそのことに対し真剣に疑問を持たず、自分が決めたと思い込んでいるが実際には灰色の男との話で決めた目標に向かってそのまま突き進んでいってしまう。そして、不安がやってくるとそのものに対峙せずにごまかすように音をたててしまう。対峙することは体力もいるし、なにか怖い。避けてしまうのは自分にもなんとなく覚えがあることだけれど、どうしてそうなってしまうのだろうか。

2種類の時間どろぼう

「だって、うちのパパやママは言うんだよ。ここに人たちはまったくのぐうたらで、なまけものだって。神様から時間をぬすんでるんだ、だからひまがたっぷりあるんだって。そして、きみたちみたいな人がおおすぎるから、ほかの人たちはますます時間がすくなくなってしまうんだって。だからもうここにきちゃいけない、そうしないと、きみたちみたいな人になっちゃうって言われたんだ。」[104]

自分自身の時間をしっかりと生きている人たちがそうでない人たちに「ぬすんでいる」と言われてしまう。自分の時間を生きていないときにほかの人にも同じことを強要してしまう。なんだかおかしい。

未来がわかるカシオペイア

「きっちり半時間だ。三十分さきまでに起こることなら、確実にまえもってわかるんだよ。だからもちろん、たとえば灰色の男に出くわすかどうかも、ちゃんとわかるんだ。」(略)「まえもってわかるといっても、起こることを変更はできないのだ。ほんとうに起こることだけが、わかるにすぎないのだよ。つまり、どこそこで灰色の男に出あうとわかったら、やっぱりじっさいに出あうのだ。そればかりはカシオペイアにもどうしようもない。」[198]

このカシオペイアの能力がよくわからない。どういうことなのか。モモもこんがらかっているようだったが、私もこんがらがって気になったので抜き出した。

自分の時間

「いや、それはできないのだ。というのはな、人間はじぶんの時間をどうするかは、じぶんじしんで決めなくてはならないからだよ。だから時間をぬすまれないように守ることだって、じぶんでやらなくてはいけない。わたしにできることは、時間をわけてやることだけだ。」[211]

自分の時間を自分で守るのは当たり前のような気がするけど、熾烈な戦いという気もする。何が自分の時間なのかということを考え続けないと、そうじゃないところに入っていくような感じがある。例えば、雇用されている時間というのは自分の時間じゃない気がしていたけど、最近は一概にそうだと言えないと思っている。そして、雇用されていない時間が自分の時間なのかと言われればそうとも言えない過ごし方もできるという気もしている。

時間の花の美しさ

見ているうちにモモにだんだんとわかってきましたが、新しく咲く花はどれも、それまでのどれともちがった花でしたし、ひとつ咲くごとに、これこそいちばん美しいと思えるような花でした。[216]

「一番美しい花」と言うときに、それは世界に一つだけしか存在しないものとしてしか想像出来なかった。だから、一番美しい花が次々と現れるこの部分は最初読んでいて受け入れがたかった。2つ以上あるのであればどちらかが美しいに決まっている、と。何度か読むうちにその中でどれが美しいか決める必要はなく、それぞれにすべていちばん美しいところがあり、それを見るという見方ができるということを考え始めた。
2014/12/29 発表(二人目)
小林健司

時間の秘密

時間とはすなわち生活だからです。そして人間の生きる生活は、その人の心の中にあるからです。[75]
彼らほど一時間のねうち、一分のねうち、いやたった一秒のねうちさえ、よく知っているものはいませんでした。[75]

知っているというより、説明が上手い、と言う方がぴったりくる。

人が使った言葉によって人をまるめこむ

おれの人生はこうして過ぎていくのか。」と彼は考えました。「はさみと、おしゃべりと、せっけんの泡の人生だ。おれはいったい生きていてなんになった?死んでしまえば、まるでおれなんぞもともといなかったみたいに、人に忘れられてしまうんだ。[76]
いいですか、フージーさん。あなたははさみと、おしゃべりと、石けんの泡とに、あなたの人生を浪費しておいでだ。死んでしまえば、まるであなたなんかもともといなかったとでもいうように、みんなに忘れられてしまう。もしちゃんとしたくらしをしていたら、あなたはいまとはぜんぜんちがう人間になっていたでしょうにね。ようするにあなたが必要としているのは、時間だ。そうでしょう?[79]
たしかに計算そのものは合っています。そしてこれこそ、灰色の男達が何千、何万もの人間をだますのに使った手口のひとつなのです。[86]

本人が使った言葉を上手に使って、本人の意図と違うところに連れて行く、という流れが見事だと思った。

しずけさのこわさ=時間が止まるこわさ?

だからもうたのしいお祭りであれ、厳粛な祭典であれ、ほんとうのお祭りはできなくなりました。夢を見るなど、ほとんど犯罪もどうぜんです。けれど、彼らがいちばん耐えがたく思うようになったのはしずけさでした。[93]

最後の時間が止められて大騒ぎをする部分とつながっている。

時間と心と生活の不思議なつながり

でも、それをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。
けれど、時間とはすなわち生活なのです。そして生活とは、人間の心の中にあるものなのです。人間が時間を節約すればするほど、生活はやせほそって、なくなってしまうのです。[95]

一番最初の文句をもう一度繰り返している。では、灰色の男たちとはなんなのか?

灰色の男たちを見ようとするとはじまるたたかい

モモはぼんやりとながらも、じぶんがあるたたかいに直面している、いや、すでにたたかいのなかに巻きこまれている、と感じました。けれどもそれがなんのたたかいなのか、だれにたいするたたかいなのかは、わかりません。[124]

人以外のものが中心になって進もうとするときに、抵抗する感じと似てる。

モモでさえ負けそうになる灰色の男たちの言葉

「人生でだいじなことはひとつしかない。」[126]
「きみはそういうことをぜんぶじゃまだてしている、みんなの前進をはばんでいる!」
「だからこそわれわれは、きみの友だちをきみから守ろうとしているんだ。」[127]

一つ一つ見ていけば反論できるけれど、つながることで押し返せないパワーが出る。不思議。

モモでさえ負けそうになる灰色の男たちの言葉

「それじゃ、あんんたのことを好いてくれるひとは、ひとりもいないの?」と、彼女はささやき声でききました。[128]

なんで、どこから、この質問が出てくるのか、まったくわからない。けれど、ここから灰色の男たちは、自分の正体について”話したくなって”しまう。
大事なことは成功で、愛や友情はあとからついてくる、というくだりに関連するか?

的確な灰色の男たちの作戦

「われわれはこれらの人間を彼女から手のとどかないように引きはなしてしまえばいいのです。そうすれば、あわれにもモモは完全にひとりきりになってしまいます。そうなったら彼女にいくら時間があろうと、なんになるでしょう。そんなものはもてあます、いや、のろって捨てさえしたくなるでしょう!」[188]

的確だなーと思った。

灰色の男たちと真反対にある「とくべつな瞬間」

「いいか、宇宙には、あるとくべつな瞬間というものがときどきあるのだ。」と、マイスター・ホラは説明しました。「それはね、あらゆる物体も生物も、はるか天空のかなたの星々にいたるまで、まったく一回きりしか起こりえないようなやり方で、たがいに働きあうような瞬間のことだ。そういうときには、あとにもさきにもありえないような自体が起こることになるんだよ。」[193]

円坐で繰り返し体感している現象と、とてもよく似た説明だと思って、じーんときた。この“とくべつな瞬間”そのものが、灰色の男たちのように、効率や成功を中心にした考え方と真逆の位置にある。
Share: